刺青は、陰ながら受け継がれてきた歴史がある。反社的なイメージが強いので、嫌う方も多いのも事実。これは、仕方がないこと。
でも、日本において、刺青がより偏見の目にさらされるのは、明治政府による禁止令が施行されたことも大きく関係する。(江戸時代にも禁止令は存在したが、ここまでの強制力はなかったとされる)
それが1873年(明治6年)から1948年(昭和23年)まで制定されていた「文身禁止令」というもの。
北はアイヌの「トライバルタトゥー」(江戸時代末期から禁止とされた)、そして、南は琉球の「ハジチ」、そしてもちろん、「和彫」も禁止とされた。
江戸末期に生み出された「和彫」は、背中や腕をキャンパスに見立て、絵画的なイレズミを彫り入れた、世界を見渡しても革新的なタトゥーの一つだった。
が、しかし、「文明開花」政策を掲げた明治維新によって、刺青=「外国人に対し恥ずべきこと」という考えのもと、すべての刺青(文身)が禁止されたのである。
すでに刺青が入っている者は「鑑札(かんさつ)」=届出書 の申請が必要とされ、彫師の仕事場も取り締まりの対象となり、下絵までもが押収の対象になった。
彫る方も彫られる方も、「陰」(アンダーグラウンド)の風潮が根付いていったと考えられる。
その一方で、開国とともに日本にやってくる欧米人の目には、刺青は、奇妙でも、とても魅了されるものに写ったようだ。
来日した貴族の中にも、日本の和彫を彫ってもらう人もいたという。有名な話でもあるが、英国王室のジョージ5世、ロシアのニコライ皇太子もその一人と言われる。
国内では野蛮とされた刺青。「欧米人にどう映るか」「欧米に並べ」を意識した政策の元で、刺青自体を隠匿しなければならなかった一方で、欧米では、称賛を浴び、腕を買われ、海外に移住する彫師も多くいたという。
禁止令施行から75年。昭和23年、終戦後のGHQ 統制の元、「文身禁止令」は廃止となる。米国から日本に駐在した兵士の中には、お土産として日本の刺青を入れる人も多く、禁止令廃止後は、早朝から彫師の仕事場には列ができていたそうだ。
75年にも及ぶ「文身禁止令」とは、一体何だったのだろう・・・
禁止令の廃止からもうすぐ80年。この歴史をもって、価値観とは何か、自由とは何かを考える・・・誰かに植え付けられるでもなく、自身の心に従うべきことではないか。
画像は1881年、イタリアの写真家によって撮られたもの。(wikipediaより)